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フリースクールAUC 日頃ブログ

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なぜ不登校になるのかということ 続き
丸山さんの説を支持する理由の2つめです。

それは、やっぱり不登校体験の実感として、
不登校をした中学生の時、
子どもだった当時はまったく言語化できなかったけれど

「あたらしく自分を構築しなおしたい」
……という思いは、確かに私にも存在していたからです。

すぐに学校へ戻りたくなかったのは、
「嫌なことから逃げたかった」とか、
「努力するのが面倒で嫌だった」とか、
そういう理由ではなくて^^;

あたらしい人生を生きるには、
まず心の回復の時間が必要だと
なぜか、そういう絶対的な感覚が
どこからか湧いていたんです。

自己全体の再構築にはただならぬ量のエネルギーが必要です。
学校に行きながら、その無意識からのエネルギーを正しく使うのは
もう不可能だという時に、不登校が起こることも多いのではないかと思ってます。
たとえ、本人(自我)の意志に反してでもね。

私も、まず心を回復させてから、
それから将来のために動きたかったのです。
(私自身は、そうはなれなかったけれど)

丸山さんの本でも、
このような心理を持つ当事者が多いことが示されています。


一方、ひきこもり支援者の本を読むと、
当事者の内面の問題よりも
まずは社会復帰することが大切だと
説かれている場合もあります。

そして、そのように社会的回復を優先する支援者のもとで
回復していく当事者も存在します。

これは矛盾だと思いますか?

不登校についてネット検索しても、
このようにまったく違う考え方が出てくるために
どうすればいいのか分からなくなる
親御さんも多いようです。

いえ、親御さんだけではありませんね。

私自身も、長い間心の底では、
「本当に仕事などの社会的活動、社会通念よりも
自分の感覚を信じてしまっていいのか、
自己流ではいつまでも回復できなくなるのではないか」
……という疑問を抱えていました。

不登校当事者として、長く活動してきた私にとって、
ほかの当事者の不登校やひきこもりを肯定することはできても
自分自身の感覚を信じることはとても難しいことでした。
自分のこととなると、やっぱり自信が持てなかったです。

社会通念が正しいのか?
当事者の持つ感覚を信じてしまっていいのか?

こうした葛藤は、誰しもあって当然だと思います。

当事者の持つ感覚を信じようとしたからといって、
すぐに当事者が元気になって結果が出るわけではなくて、
期間は人それぞれですが、回復には長い時間がかかりますもの。


私が長く回復できなかった年月の中で、
ずっと不思議に思っていたのは。
不登校の時の「まず心の回復が必要だ」という思いは
誰に教えてもらったわけでもないのに
なぜ、あんなにも強く感じたのだろうかということです。

そのモヤモヤした感覚は、
河合隼雄さんの本を通じて深層心理学に触れる中で、
かなり腑に落ちたように思います。

「その感覚」は、無意識から来ていたんですね。

「最終的には本当の意味で元気になって、
自分らしく生きられるようになることを目指していく」という意味で、
当事者が持つ「その感覚」は、決して悪いものでも反社会的なものでもなくて
人間としての本能に近い、大切なメッセージであるように思います。
その回復を果たしてこその社会貢献の在り方だって、あるんだって信じています。


私が抱えていた本当の問題は、学校へ行くことや仕事をすることの中では
決して解決できるものではありませんでした。

不登校・ひきこもりは個別的な体験であり、
当たり前の話ではありますが、当事者同士であっても
分かり合えるわけでもないし、必ずしも支えあえるわけではありません。

不登校への「俯瞰」には限界があることも、わきまえなくてはなりません。

それでも、不登校・ひきこもり当事者全員ではなくても
多くの人に共通する心理、回復の段階というものはあります。

私は、当事者活動として、ずっと私の体験を研究しようとしてきましたが、
それが直接、ほかの当事者の理解や回復の鍵にならないことは分かっていました。

「その感覚」についての言語化、表現方法を模索することに意味がありました。

社会通念と、当事者の持つ「その感覚」とのギャップを形にすることなしに、
当事者同士でも、当事者ではない人たちにも、
「本当に言いたかったこと」をどうして伝えることができるでしょうか。


当事者の持つ、無意識に近くて非常に言語化しづらい「その感覚」が、
当事者以外の方たち、ご家族や多くの支援者にとっても見えづらいものだから、
苦しんで、動けない状態にある当事者がしばしば、
単純に視野が狭く、かたくなに「自分だけが不幸だ」と自己防衛し、
成長を放棄しているような感じで見られちゃうのかもしれません。

「当事者の持つ感覚を信じていいのだったら、
なぜ社会的回復優先の支援が成功することもあるのか」
「不登校・ひきこもりの当事者をほっておいて、
そのまま8050問題にまでなってしまっていいのか」
など、さまざまな反論の在り方があるでしょう。
ひとつひとつ「その感覚」に基づいて、書いていけたらと思います。


当事者として、上記のような見られ方をしてしまうことはとてもツラかったです。
しかし、「社会が分かってくれない」と悲観するばかりではなく、
誰もまだほとんど言語化・表現をできていない「その感覚」について、
表現を模索した方がいいのでは……と、私はいつの間にか、そう思ってました。

そして不完全ながらも、体験談とは違うメリットを持つツールとして、
できたのが「すごろく」だとは、ちょっと私も予想できませんでしたが( ̄∀ ̄;)
| aucnpo | 不登校のこと | 16:01 | comments(0) | - |
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